「オタク」とは元来アニメ、漫画等を嗜好とする内向的な若者を指す言葉として産まれた
ものです。 しかし今では
○○オタクという言葉は、より深く探求する人間を称する言葉へ
と変化しつつあります。
 日本人は古来より、ツクモ神などに見られるようにモノに「カミ」が宿るという考えを
持っていました。 モノを大切にする民族が持つ概念といえるでしょう。
 モノの作者(達)が深いオタク的なこだわりを持っている場合、すぐれた逸品が産まれ
ます。
ここでは、そういったモノの中に「カミが宿っている」と定義します。 
 この発想に基づき、
「これは神様が宿っている/宿っていない」という視点で
「モノ文化」を考えモノの神様の姿を現代で探していこうというのが当サイト主旨です。
オタクなモノには神様がやどる!
略称 オタカミ

本サイトは、信仰とは
無関係に「モノの神様」を
空想するサイトです。
神仏の姿を偶像的に
追いかけるものでは
ありません。



本文へジャンプ TEXTby葉山霄 
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こちらです。

今回のここにいるかも!?

003 旅行の神様 青春18きっぷ 北海道&東日本パス


 人生で、旅に出かけられる時間は少ないと
思います。
 気の向くまま出かけられるのは、学生の時
分か、生涯の仕事を終えてからでしょう。
 会社の仕事や、日々の家事をまとめて休
むのは、なかなか出来ることではありません。

 しかし旅は必要、ものすごく必要です。
未知のものを見て、未知のものを知る。
感覚が刺激されるだけで得した気になります。
 新しいことを蓄積することで、「人間」が
厚く立派になるのなら、旅とはまさしく人間
を大きくするための行動と言えるでしょう。 

「旅」と「移動」は違います。
風景や、目的地の旅情の有る無しではなく、
「その土地に行きたい」のが旅。
「その土地の目的」のために行くのは移動。
 出張で遠くに行っても、取引先との商談が
気になっていれば、その「土地」で出会える
ものには、自然と関心が薄れていきます。
目的のない出会いを求めているのが「旅」と
言えるのではないでしょうか。
 今回のモノの神様は「旅行」。
JRが発券している「青春18きっぷ」は日本
全国のJR全線どこにでも行けるという格安
11500円のスーパーチケットです。
 旅行の神様がこっそり宿っていても全然お
かしくはありません。
 どこにでも行けると言っても普通車限定、
特急や新幹線などは乗れません。
 学生が休業中は通学などの利用が減るので
その合間を埋めるための企画切符という話で
す。
 青春18とありますが、使用には年齢制限
などありません。
 5日分が一枚になってるので、5人で日帰り
旅行や、日を別にして計5日分の旅も可能です。

 青春18きっぷより安く、使い勝手が良いの
が北海道&東日本パス(写真)こちらは1万
円ポッキリ。
 ルールが多少違っていて連続する5日間し
か使えないところが難点とも言えます。
 そのかわり北海道の移動に配慮をされてい
るので(一部特急の利用など)北に行くなら
こちらがお薦めです。
 たとえば東京発の場合、1日目は青森あた
りで泊まり、2.3.4日目を北海道で過ご
して4日目の夜には本州に戻り、また東京に
帰ってくると言うことも可能です。
 この区間の普通乗車券だと4万円以上はし
ます。
 そのかわり列車に乗りっぱなしなので、
ものすごく疲れることになると思いますが。

 どこにでも行ける切符を買うと言うことは
自分の道を決めることです。
 切符を手にしてどこに行こうかと空想す
るだけで、少しばかり日常が豊かになります。
 宝くじは「どこにでも行ける」が夢に終わ
ることの方が多いですが、
 青春18きっぷと北海道&東日本パスは、
自分が決意さえすれば空想が現実となるの
です。
 どこへ行くかは自分次第。
でも、カミサマのイタズラも、少しばかり入
っているかもと思うのもまた一興でしょう。

校正協力 柴木倒



コラム

日本人と神様


「日本には八百万の神様がいて、いろいろな物に神様が宿っているんだよ」

 こういった言葉を聞いたことがありませんか?

 この八百万(やおよろず)という言葉は通常、人格神の柱数を指すものとされていますが、 同時に森羅万象を指すものとしても定義されています。

 具体的に「モノ」が「カミ」となるのは、古くなったものや、愛着のあるものが妖怪化するツクモ神の描写が有名ですが、それ以前に日本人の精神的な根源に、「モノ」に対する畏敬の念があると考えています。

 たとえば、ご飯を茶碗に移すしゃもじ。
平べったければ何でも良いものですが、ここに「ご飯がこびりつかない」という意味づけがされると欲しくなったりしませんか?
 お米を無駄にしない気持ちと合致することで「しゃもじ」のカミサマが持つ者の意識に生まれるのです。

 日本は物資の限られた国ですが、想像力により無限のモノを産み出す希望の地であります。

 優れたモノには必ずルーツがあります。
目の前にある物体の産み出される課程を自分で感じ取ることで、森羅万象に宿る八百万の「カミサマ」が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
   
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